2010年12月1日水曜日

【第56回】ハーバード白熱教室②

~ 聞く力と話す勇気 ~

ハーバード白熱教室@東京大学』の最後で、サンデル教授は講義の参加者たちに、こう語ります。
「私が素晴らしいと感じたのは、皆が異なる見解を示し、皆が深く根ざした信念によって異議を唱えながらもなお、お互いの意見に耳を傾け合ったということだ。そして問題の根底にある道徳原理を探ろうとして議論をしていたことだ。我々は問題を解決することはできなかった。しかし、ディベートや道徳的議論、公共の討議は大抵の場合、全員が合意するものではないだろう。世界を見渡せば、我々は異なる価値観が存在し、相反する道徳や宗教的信念に満ちたグローバル社会に生きている。今日の議論で我々は前進し、自信を得たと思う。自信と美徳と力を得たように思う。真剣なディベートをこの場でできたのなら、おそらくできるのは、この空間に集まった1000人だけではない。このような考え方、議論の仕方、論法、お互いに意見を聞き合うやり方は、意見が一致しない場合であっても、お互いに学び合うことがある。たぶんこれが我々の社会の中で公共的生活を実現できるやり方なのだと思う。これこそが私の願いだ」と。何かの目標に向かって(あるいは、何かを求めて)、信念と価値観に立脚して自分自身の意見を述べること、相手を尊重し相手の意見に耳を傾けることの大切さを改めて痛感しました。

その一方、日本の子供たちは最近「聞く力」が低下しているように思えてなりません。OECDが実施する国際的学力到達度調査(PISA)2006年「読解力」の分野で15位(2000年8位・2003年14位)という状況にも現れているように感じます。特に外部のロボット講座で講師の依頼を受けたときなど、話を聞けない子が非常に増えていることに驚きます。時には授業を止めて子どもたちに「学力とは聞く力なり」と話さなければならないこともあります。「ロボットのセンサーと同じように、耳から様々な情報が入ってくる。ちゃんと聞いていれば、その情報を基にいろいろなことを考えることができるけれども、聞いていなければ何をしたらいいか分からない、考える材料もないから考えられない。もし頭がよくなりたいのなら、ちゃんと聞くことが大切」。

また、これは今に始まったことではなく、サンデル教授も東大での講義の冒頭で日本人は大勢の中であまり意見を言わず、議論にあまり積極的に参加しないのではないかと心配していたことですが、間違えることを恐れて発言しない子が多いのも気になることの一つです。子供たちにはこんな話をよくします。「たくさん間違える人の方が偉い。間違えない人は自分の知っていること、分かっていることしか言わない、やらない。しかし、たくさん間違える人は、こうじゃないかな?ああじゃないかな?と自分の頭でいろんなことを一所懸命考えているから間違える。だから、間違える人の方が多くのことを学べる。間違えてもいいから自分の思ったことをどんどん言ってみよう、やってみよう」。教師が子供たちのどんな意見をも肯定も否定もせずに受け入れていくと、子供たちの中から自然と議論が生まれてきます。

「意見を言うことは勇気が必要だ。なぜそう考えるのか、議論を展開しなければならない。反論を受ける覚悟も必要だ。これができれば、社会に出て民主主義社会の市民になって活躍するとき、大きな力を発揮し自信につながると思う」(サンデル教授)


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2010年11月1日月曜日

【第55回】高専ロボコン観戦記

~ アイデア対決「激走!ロボ力車」 ~

去る10/24(日)駒沢オリンピック公園総合運動場体育館にて、毎年恒例の「高専ロボコン」(アイデア対決 全国高等専門学校ロボットコンテスト2010)の関東甲信越地区大会が行われました。今年は主管を都立産技高専品川キャンパスが担当。8/29「サマーチャレンジ」で優勝した当アカデミーの生徒たちに副賞として入場チケットを頂きました。当アカデミーを卒業し、産技高専に進学した神山慧君が選手宣誓。神山君率いるチーム「Pigeon」(産技高専品川A)には、今年ロボカップジュニア世界大会に出場した加納誉大君やジャパンオープン出場の増田匠君の姿も。全20チームが全国大会出場を目指して対決しました。

今年のテーマは「激走!ロボ力車」。二足歩行ロボットがまず単独で走り、中間地点で荷台に乗った人間を乗せてゴールに向かいます。さらに、ゴール前に吊り下げられた輪にキーを差し込まなければなりません。「アイデア対決」というだけあって、驚くような発想もあり、うまくいくか?ハラハラドキドキする場面もあり、会場は大変な盛り上がり。各校の応援団や司会のNHKアナウンサーたちも場をさらに盛り上げます。

優勝した力強く走る「メタリオット」(長野高専B)は、8人の人間を台車に乗せても走れます。アイデア賞 「歓声!Moment」(産技高専荒川B)は、その中に人をブランコに乗せて歩く巨大な風車型のロボット。人を乗せて歩く近未来的なクールなデザインのロボット「Voiture(ヴォワチュール)」(群馬高専B」が技術賞。シンデレラが乗るカボチャの車をネズミのロボットが運ぶ「狭間怪力(ハザマッチョ)」(東京高専B)がデザイン賞。以上4チームが全国大会に推薦されました。空気圧を利用して動くロボット「Pigeon」は独自のアイデアを披露したものの完走できず、特別賞(本田技研工業株式会社)を受賞したものの、残念ながら敗退してしまいました。

高専ロボコンの良さは競技の勝敗だけでなく、奇抜なアイデアを実現していたり、観ている人を楽しませるデザインであったり、様々な観点からロボットや学生たちを評価する点です。全国大会でも優勝チームより、審査員による大賞の方が評価が高いというところにも、その理念が感じられます。

観戦した生徒たちは、皆それぞれに、いろいろなことを感じ取ってくれたようです。後日「高専ロボコン1位のロボットをみて思ったのですが、頑丈で、メンテナンス性に優れていて、デザイン(シンプル)の良いをモットーにロボットを作り、練習競技会に挑もうと思います」というメールを送ってくれた生徒もいました。自分の目標とするロボット像が見えてきたのだと思います。
全国大会は、11/21(日) 国技館で行われます。また、NHKで地区大会・全国大会の様子を放映しますので、ぜひご覧になってください。

高専ロボコンHP: http://www.official-robocon.com/jp/kosen/kosen2010/index.html
NHK放映予定:  http://www.nhk.or.jp/robocon-blog/4000/63332.html


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2010年10月1日金曜日

【第54回】ハーバード白熱授業 (第1回)

~ サンデル教授の政治哲学講義「Justice(正義)」 ~

ご父母の皆様の中にもご覧になった方も多いかと存じます。NHK教育テレビで今年4月4日から6月20日まで放送された『ハーバード白熱教室』(Justice  with Michael  Sandel)は、これまで門外不出だったハーバードの授業が初めてメディアに公開され、多くの反響を呼び起こしています。1000人の学生を相手に繰り広げられるマイケル・サンデル教授の政治哲学の講義は、「正義とは何か?」を問うものです。

学生に難題を投げかけ議論を引き出し、自身の理論を展開するディベート(討論)形式の講義。学生たちに意見を求め、その理由を問うたり、反証を提起してさらにそれをどう思うかを質問したり、反対意見を求めたり。難解だと思われがちな哲学について、具体的な事例や日常的な問題を提起し、鋭く、深く、しかもウィットに富んだ議論が展開される講義は観る者を魅了し、思わずその講義に中に引きづり込まれてしまいます。そして、テレビ視聴者である私たち自身も真剣に考えさせられていまう迫力を持っているのが、その人気の秘密なのでしょう。著書『これからの「正義」の話をしよう:いまを生き延びるための哲学』(鬼澤忍  訳、早川書房)  も40万部を超えるベストセラーになっています。

例えば、次のような問題が提出されます。
・もしもブレーキのきかない車を運転していて、5人か1人か一方を犠牲にするしかないとしたら、あなたはどちらを選ぶか。
・遭難船で全員が死を待つより、多数が生き延びるために1人を殺して食べることは道徳的に許容できるか。
・アメリカは1割の富裕層が富の7割を所有し、富の分配が非常に不平等な社会、これは公正か、不公正か?

この人気を得て8月25日、東大安田講堂で「ハーバード白熱教室@東京大学」が行われ、その講義が9/26ETV特集で放映されました。東大生と一般公募から抽選で選ばれた1000人が参加。政治家や学校の先生、団体役員、看護士、主婦と多彩な人々が集まりました。

第1部は「イチローの年俸は高すぎる?」。イチロー・オバマ大統領・日本人の教師、三者の年俸を比較しながら、富の分配の公正について。果たして、イチローはオバマ大統領の42倍もの年俸に値するのだろうか。さらには東大への入学資格をお金で買うことの是非についの議論。
第2部は「戦争責任を議論する」。現在の世代は、過去の世代が犯した過ちを償う義務があるのだろうか。日本・アメリカそれぞれの戦争責任を今の世代が負うべきかどうかの議論。

これらを通して、「正義とは何か?」という問いに対する伝統的な3つの考え方 ―  ①最大多数の最大幸福(ベンサム) ②人間の尊厳に価値を置くこと(カント) ③美徳と共通善を育むこと(アリストテレス) ―  を学生との議論の中で検証しようという試みを行いました。

サンデル教授の一つ一つの質問は嫌が応にも私たち自身の生き方や人生観をあぶり出します。そして、最後にこう結びます。「哲学は不可能に見える。私の答えは、哲学はある意味不可能だが、決して避けられないものだ、ということだ。我々は毎日その問いに対する答えを生きている。哲学者の問いだ」

<参考>
http://www.nhk.or.jp/harvard/ (NHKのサイト)
http://www.justiceharvard.org/ (ハーバード大学のサイト)

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2010年6月1日火曜日

【第53回】数学的リテラシー③

― 数学的リテラシーを育てるには? ―

筑波大学の清水美憲氏は、以下のように提言しています。
「PISAの枠組みは、数学的リテラシーを身につけるということの意味を、基礎的な知識や概念のリストや技能の単なる獲得としてではなく、身のまわりの状況や文脈の中で事象を数学の眼でとらえ問題を解決することができるようになること、そしてその過程で用いられている数学的方法とその意義を知ることまで含めて考えることの必要性を示唆している。数学的リテラシーを身につけることによって、身のまわりの問題場面で必要な情報を的確にとらえ、根拠をもって判断し、そのような過程を数学的な方法を用いて表現することができるようになる。そして、この一連の過程で用いられる能力は、これからの時代において、ますます重要になる」

「これからの数学教育では、身のまわりの事象に見られるパターンや形の特徴を数学的に探り、量について、また変化のようすについて数学的に読み解き、それらを数学的に表現して把握する力に焦点を当てることが重要である」という、アメリカの数学者リン・アーサー・スティーンの言葉を引用し、数値、表やグラフ、形などさまざまな形式で身のまわりにあふれる情報を数学の眼で正しくとらえて比較・評価し、その解釈に基づいて的確に判断を下す能力の重要性を指摘しています。

そして、「数学の眼で事象を読み解く力の育成」には、以下の3つが必要だと述べています。
①問題の場面における数量の関係を概括的にとらえ、グラフを用いてそれを数学的に表現したり、 数学的に表現された式かやグラフから情報を読みとったりする力の育成。
②表やグラフなどの形で与えられたデータから適切に情報を読み取り、それに基づいて的確に判断を下す力の育成。
③日常生活には、見込みや偶然性、不確実性に関する情報が数多くある。この不確かな事象について判断を行なうこと、そしてその判断の根拠を説明できるようにすること。

トゥルースの視線(第50回)で、データロガーなどを用いた欧米のICT教育に触れましたが、まさにPISA型の学力形成を目指し、科学的・数学的リテラシーを育てる教育を実践しているように感じます。長年数学教育に貢献してきた杉山吉茂氏も、数学教育にテクノロジーを利用して問題解決力を高めることを強く提唱していますが、日本ではなかなかその重要性が理解されず、「これから先の日本を考えると、居ても立ってもおれないほどの焦燥感を感じざるを得ない」と日本の現状を嘆いています。

当アカデミーの算数アカデミーでは、数や形の規則性を発見して数式で表現する活動を中心に行っており、科学アカデミー(エレメンタリ)では、表やグラフ、データロガーの導入により、科学的かつ数学的な眼で事象を読み解く実験を行っています。また、ブロック・サイエンスやロボット・サイエンスでも、算数・数学をものづくりという実践の中で触れざるを得ない場面が多々あります。生徒たちが今まさに行なっている学習が将来の生活と直接的なつながっていることを実感し、道具として数学を使いこなして活動する姿を思い描きながら、微力ではありますが、世界が今目指しているPISA型の学力の育成に少しでも貢献できればと強く願っております。

【参考文献】
『数学的リテラシー論が提起する数学教育の新しい展望』清水美憲(筑波大学)
中学数学の新しいカリキュラム』杉山吉茂(東京学芸大学名誉教授)


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2010年5月1日土曜日

【第52回】数学的リテラシー②


― 世界が求める「数学的リテラシー」とは ―

数学教育の分野で「数学的リテラシー」という用語が国際的に本格的な議論の対象になったのは、OECDによるPISA「生徒の学習到達度国際調査」(視線第12回・23回・2008年ご挨拶参照)で、この概念が用いられてからです。調査問題の斬新さに加え、国際的指標を通して浮き彫りになった生徒の実態が、新しい時代の数学教育のあるべき姿を改めて問い直す機会を与えました。

「思慮深く、身の回りの諸問題に関心をもった建設的な市民」として生活するために必要な能力は何か?新しい時代に必要なのは、学校のなかで閉じた算数・数学ではなく、社会と将来につながりがある、世界にひらかれた算数・数学なのです。実生活の状況を含む多様な問題場面で、生徒が情報を的確に読みとって、それを数学的に解釈・表現し、判断を下す力を評価することに主眼がおかれています。ですから、生徒が身につけている「生きてはたらく知識や技能」を多元的に評価していることがPISAの特徴になります。

その際カギとなるのが、『数学化(mathmatisatin)の過程』です。
①現実性に根ざした問題から始める。
②数学的概念によってその問題を組織し、問題に関連する数学を同定する。
③仮定をおいたり一般化・形式化したりする過程を通して、徐々に問題の現実性を取り除いていく。このことによって状況の数学的特徴づけが進み、現実世界の問題を、状況を忠実に数学の問題に変換する。
④数学の問題を解決する。
⑤現実的状況から見て、数学的な解の限界を特定することを含め、その解の意味を考える
(OECD,2003)
これまでの伝統的な数学教育は、④のみに焦点を当てて行われてきたと言えます。

また、数学化の過程に用いられる能力は、以下のように挙げられています。
①思考と推論
②論証
③コミュニケーション
④モデル化
⑤問題設定と問題解決
⑥表象
⑦記号的・形式的・技術的な言語や操作の使用
⑧道具や補助器具の使用
(OECD,2003)

では、「数学的リテラシー」を育てるためには、どのような教育が必要なのでしょうか?
次回ご紹介したいと存じます。


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2010年4月1日木曜日

【第51回】数学的リテラシー①

― 日本における数学教育の環境 ―


日本の子供たちは数学の知識や技能の面では世界トップクラスでありながら、数学への興味も応用への関心も乏しいことが指摘されています。現実の問題解決のために「数学が役に立つ」と考えるアメリカの子供が7割いることに対して、「数学は役に立たない」と考えている日本の子供が7割を占めているそうです。これは、次の国立教育政策研究所の発表(2004)でも、同様の結果を示しています。
・数学で学ぶ内容に興味がある(日本32.5%/OECD平均53.1%)
・学んだ数学を日常生活にどう応用できるかを考えている(日本12.5%/OECD平均53.0%)
・将来の仕事の可能性を広げてくれるから数学は学び甲斐がある(日本42.9%/OECD平均77.9%)


今日の社会で、数値やグラフ、形など様々な形式で身の回りにあふれる情報を数学の眼で正しくとらえて比較・評価し、その解釈に基づいて的確な判断を下す能力の重要性を疑う人はいないはずです。また、学習者が、今まさに行っている学習が将来の生活と直接つながっていることを実感し、数学を学ぶ意義を見出しながら学習できることが望ましいことも、疑う余地はありません。

なのになぜ、不幸なことに、日本の子供たちは、これほど数学を学ぶ意義や魅力を感じられないのでしょうか?数学教育協議会の小寺隆幸氏は、「学校では『学力』向上が至上課題とされ、結果がわかりやすい計算力などに焦点を当てて、鍛錬・競争・習熟度別授業などで勉強を強いる動きが強まっている」と指摘。東京学芸大学名誉教授の杉山吉茂氏は、さらに手厳しい批判を行っています。「極言するならば、今の数学教育は、入学試験や就職試験のために行われているといっても過言ではない。いろいろなテクニックを素早く用いることができることを求め、わけがわからなくても記憶に頼って、ただ与えられた問題を解決できればよいと考える子供の姿勢。計算力が低下する殻とテクノロジーの導入を極力排除しようとする学校教育界。入学試験しか役に立たない数学ならば、できるだけ数学の内容を少なくしたいと考えている一般の人々。そういう中でも、数学教育のもたらしえくれる教育的価値を少しは実現されているだろうが、それほど多くのことは期待できないでいる」

これまでこの「Truthの視線」の述べてきました、今世界が求める学力と日本が求めている学力との乖離(かいり)が数学教育でも問題となっているようです。次回は、世界が求める「数学的リテラシー」とは、どのようなものか?ご紹介したいと思います。

【参考文献】
『市民としての数学』小寺隆幸(数学教育協議会)
『中学数学の新しいカリキュラム』杉山吉茂(東京学芸大学名誉教授)
『数学的リテラシー論が提起する数学教育の新しい展望』清水美憲(筑波大学)


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2010年3月1日月曜日

【第50回】ヨーロッパ展示会見聞録②


― データロガーと科学的リテラシー ―

前回、1月にロンドンで開催された教育展示会BETTで、ICT教育が日本ではるかに進んでいる状況に出合ったことをごく一部ですが取り上げました。今回はその続きになります。


次に目立ったのは、データロガー(データロギング機器)です。理科実験の際に様々なセンサーで記録を取り、そのデータをパソコンに送ってグラフ化し、データの分析や解析を行うためのツール。当アカデミーが所属するRISE科学研究会で毎年夏に開催している「サマーキャンプ」でも、このデータロギングをレゴのロボットキットを利用して行っていますが、それよりもはるかに精密な測定ができ、センサーの種類も豊富なのが特徴です。レゴのNXTに自社製のセンサーを取り付けるアダプターを作っている会社もありました。また、実験のための器材やカリキュラムも用意され、理科教育にとって新しいこの機器を使い易くすると共に、授業のためのヒントを豊富に提供しているようです。

また、実際に社会で活躍している機械や産業システムのモデルをブロックで作り、モーターやセンサーも取り付け、パソコンでプログラムを組んで制御する装置も結構見られました。これはレゴのNXTロボットキットや来年度の教材WeDoでもできますが、接続できるモーターやセンサーの数が多く、レゴのような特定のブロックだけでなく、様々な素材で作ったモデルを制御できるように設計されていたり、パソコン上でモデルのシミュレーションをできるようにしたりと、各社工夫を凝らしていました。

レゴ社もブースを出しており、巨大なNXTロボットのディスプレイで一際目立っていました。展示品はNXTロボットキットとWeDoだけで、ロボットを基軸とした展開を強化していく方針を強く打ち出しているような印象を受けました。それでも、多くの学校の先生たちが集まっており、スタッフは説明や質問で皆てんてこ舞いの様子でした。また、あるレゴ社の代理店は、NXTロボットに金属の部品を組み合わせたセットを展示しロボットを動かしてデモを行っており、日本では考えられないので大変驚きました。

今回BETTを見て感じたことは、教育のICT化が日本よりはるかに進んでおり、「何を教えるか?」ではなく、「どのように教えるか?学ばせるか?」「どんな能力を育てるか?」に重点が置かれていることです。特に理科実験では、予定調和的な結果が出たら正解というやり方ではなく、収集したデータを分析・解析することによって、情報を読み取る・情報を取捨選択していく・情報から法則性を導き出す、といった情報リテラシー(情報活用能力)を育てる目標も含まれています。また、ロボットや機械モデル制御のためのプログラミングを通して、論理構造やアルゴリズム(物事を進めていくための明確な手順、特に問題を解くための手順)を組み立てる能力を育てることができます。

既成の知識を理解し覚えるだけではなく、どのようにしたら新しい知識を獲得し知識体系を組み立てられる能力を育てられるか?そして、それを現実の世界に活用していくか?ということの重要性を改めて感じました。これこそ、今世界が求めているPISA型の学力(視線第12回・23回・2008年新年のご挨拶参照)における「科学的リテラシー」を生み出す教育方法なのです。今回の展示会で得た教訓を教訓としてだけで終わらせるのではなく、目にした教材を近々にも実際の授業に取り入れられるよう、全力で取り組んでいます。ご期待下さい。


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2010年2月2日火曜日

【第49回】ヨーロッパ展示会見聞録①

― ITC教育の最前線 ―
去る1月13日~16日ロンドンのケンジントンにあるオリンピアという展示会場で、ヨーロッパ最大級の教育展示会である『BETT2010』が行われました。欧米の子供たちはどんな教材で学んでいるのか?当アカデミーでも生徒たちに提供できる教材はないだろうか?と思い、見に行ってきました。ヨーロッパ全域から(アフリカからも)学校の先生たちが最寄りの小さな駅に続々と集まってきます。“the world’s largest educational technology event ”と銘打っているだけあって、おびただしい種類のICT (Information and Communications Technology:情報通信技術) を利用した教材が展示されていました。

中でも多いのは、教材および教材作成ソフトウェア。IWB(Interactive Whiteboard)と呼ばれる電子黒板は、今や教室では当たり前の時代になっているとのこと。IWBはパソコンの画面を大画面で映し出すこともでき、映し出したPC画面に文字を書くことも、直線や図形、様々な画像、アニメーションや音声を活用することもできます。また、書いた板書をファイル変換し、そのままパソコンに取り込めるものまでありました。このIWBの普及により、授業や先生の教材作成を支援するソフトウェアが求められているという事情があるようです。様々な素材も用意されており、既成のものだけではなく先生が自分の意図する授業が実現できるよう、自由にカスタマイズできるものも結構ありました。これらは先生の負担を減らすと共に、授業の質を上げる効果があると思われます。また、全英の先生たちをトレーニングしたり、授業サポートをしたりする団体も出展しており、先生の質や授業の質を向上させようという体制や機器、コンテンツが豊富にあることを実感しました。

特に面白いと思ったのは、目には見えない分子の運動などの理科実験を様々な条件を変えてシミュレーションできるソフトや、地球や地球の大気の様子、月や太陽などの天体の表面などの映像をプラネタリウムのように球形のスクリーンに映し出す、「Digital Video Glove」と呼ばれる装置です。後者は、NASA(アメリカ航空宇宙局)の最新データを取得して映し出すこともできるそうです。BETT訪問の前日に起きたハイチ地震の情報も映し出していました。

教室の風景が私たちが子供の頃とは大きく様変わりしているのを、ひしひしと実感しました。

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2010年1月1日金曜日

●2010年 新年のごあいさつ  ~科学の芽・科学の茎・科学の花~


新年明けましておめでとうございます。旧年中は、暮れのX’masサイエンス・フェスティバル、ロボカップジュニアの運営を始め、ご父母の皆さまの当アカデミーへの日頃のご理解・ご協力に深く感謝申し上げます。本年も変わらぬご支援を頂ければ誠に幸いです。

当アカデミーは昨年創立20周年を迎え、社名を「株式会社Truth Academy」に改称いたしました。また、今年10月で教育用レゴブロックとロボットを教材とした科学教育を始めて満10年になろうとしています。既にお知らせしておりますが、この節目の時期に、レゴダクタコースの全面的な改訂、リトル・ダヴィンチ「科学アカデミー」「算数アカデミー」の新設等、科学教室としてこれまでの実績も踏まえた上で新たなチャレンジを行います。

科学、すなわちサイエンス(science)の語源はラテン語で「知識・原理(scientia)」で、「分ける(scindere)」に関係していると言われています。中世ヨーロッパでは、現在「自然科学」にあたる言葉であるscientia naturalis(スキエンティア・ナトゥーラーリス)は「自然に関する知識」のことで「自然哲学」とほぼ同じ意味で用いられており、「哲学(philosophy)」は元々ギリシャ語で「知を愛する」という意味だそうです。自然について知ることを愛する学問。なんて素敵な言葉なのでしょう。

自然科学を一言で表すならば、「自然法則の解明」に他なりません。観察した事柄に共通した固有の性質を見つけ、それがどのような法則によって多様に変化するかを考えること。多様性の根底にある法則を発見するためには、対象の本質を捉える分析力が必要です。物理学者R・P・ファインマンは、次のような言葉で表現しています。「自然を理解するときの一つのやり方は、神々がチェスのような優れたゲームをやっているのを想像してみることです。こうした観察から、ゲームのルールや、駒の動きのルールがどうなっているかを分かろうとする訳です」。

「科学的真実」という言葉が使われることがあり、学校の理科はこの科学的真実を学ぶ教科と言ってもいいでしょう。しかし、「科学的真実」とは何でしょうか?世界を代表する天文学者ピエール・レナは、「科学における真実とは、暫定的な真実、あるいは一時的な真実(Provisional truth)とでも呼べるでしょう。しかし、それは真実なのです。その真実が時間とともに変わるのです。しかし、それは改善途中にありますが、依然として真実なのです。科学的な真実は時間とともに移って行く。ですから、最も深く熟慮され、最も確実かつ矛盾が生じていないと評価された内容が、その時点での科学的な真実なのです」との述べ、ノーベル賞受賞者たちを唸らせる天才的科学者・教育者であるイラン・チャバイは、「科学的な視点からは、絶対的な『真実』あるいは事実というのは有り得ません。科学者は、考え得る最良のモデルを作ることを試み、そしてよりよい近似解を求め続けるのです」とまで断言しています。ですから、科学とは、新しい発見による革命的な一揺れがきたら、いつ倒壊してもおかしくない「科学的仮説」の建造物である、とも言えるのかもしれません。

ここで、「科学的であるか?科学的でないか?」ということも重要になります。哲学者K・R・ポパーは反証(間違っていることを証明すること)が可能な理論は科学的であり、反証が不可能な説は非科学的だという「反証可能性」をその両者を分ける基準として提案しました。作家であり物理学者である寺田寅彦は、「物理学は他の科学と同様に知の学であって同時に又疑の学である。疑うが故に知り、知るが故に疑う。疑は知の基である。能く疑う者は能く知るものである」と述べています。

どうも、「科学を学ぶこと」と「科学者であること」とは大きく異なるような気がします。科学を学ぶためには教えられたことを信じなければ始まりません。では、どのようにしたら科学者になれるのでしょうか?

アインシュタインは、「われわれが経験できる最も美しいものは神秘的なことである。それは、真の芸術や科学の誕生に伴う基本的なセンスである」「好奇心はそれ自体で存在する根拠があるのです」と、不思議だと思うこと、好奇心をもつことは、科学者の持つべき大切なセンス(感性) であるという言葉を残しています。またさらに、「この繊細な若草は、刺激の他にとりわけ自由を必要としている」と、現代教育の知識の強制を憂え、人間は生まれつき遊びを通して自由な知的好奇心を持つことがポイントである、と考えていたようです。

科学を学ぶことは学校でも一般の塾でもできます。当アカデミーは、この自由な知的好奇心を刺激し、科学者の資質を大切に育む場として、新しい一歩を踏み出したいと願っております。今後ともご指導、ご鞭撻、よろしくお願い申し上げます。


ふしぎだと思うこと
   これが科学の芽です
よく観察してたしかめ
そして考えること
   これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける
   これが科学の花です

― ノーベル物理学者 朝永振一郎 ―


【参考文献】
 科学者という仕事―独創性はどのように生まれるか(酒井邦嘉著・中公新書)
 幼児期に育つ「科学する心」―すこやかで豊かな脳と心を育てる7つの視点(ソニー教育財団)





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